2022/07/16 12:25




 フランスの小説家ボリス・ヴィアンの作詞したシャンソン『脱走兵 Le déserteur』にピンとくる訳詞がないので自分で翻訳し歌ってみたが、曲が共作なことも含め、考えたら著作権関連がやっかいで公開するすべが今はないことに氣づいた。だからここでは歌詞の解読を通して僕自身の意見をのべてみることにしよう。
 原詞とヴィアン自身が歌った音源を味わい、訳語を細かく検討してみたところ、この歌の内容は一般に知られているようなただの反戦歌ではなく、老子的パタフィジックとでも呼ぶべき、多面的なイメージを想起させるものであると知れた。歌詞に採用されている動詞は目的語を付加するといくつもの意味をもつものが多く、ヴィアンが拒否すべきであると述べている対象は戦争に征くことや貧しい人びとを殺めることだけではない。
 人の心を蝕むあらゆる機械的な自動運動へのノンであり、自分がほんとうに自分自身であるために、物事を裏の裏まで見通し、深く考え、決意をもって適切な判断を行う必要がある、とのメッセージを僕はこの歌に感じる。

Le déserteur
『脱走兵』

Lyrics by Boris Vian
Composed by Harold B. Berg / Boris Vian

作詞 ボリス・ヴィアン
作曲 ハロルド・B・バーグ&ボリス・ヴィアン
翻訳 根津耕昌

Monsieur le Président
je vous fais une lettre
Que vous lirez peut-être
Si vous avez le temps
Je viens de recevoir
Mes papiers militaires
Pour partir à la guerre
Avant mercredi soir

一筆啓上仕候
大統領、お読み下さい
お暇な時にでも
水曜の日暮れ前
との通知受けました
軍からの書類、僕に
戦争に行けとの

Monsieur le Président
je ne veux pas la faire
je ne suis pas sur terre
Pour tuer des pauvres gens
C’est pas pour vous fâcher
Il faut que je vous dise
Ma décision est prise
Je m’en vais déserter

貧しい人らを殺せとの仰せ
僕にはできない
そこには僕がいない
ムッシュー、ひとまず
申し上げておきます
決意は一つ、僕は
逃げて旅立つ

※八行目の動詞déserterは「逃げて旅立つ」と訳したが、自動詞としては「脱走する」「逃亡する」、他動詞としては「離れる」「棄てる」「見捨てる」「放棄する」などの意味がある。
 歌の歌詞にはピリオドがなく、目的語が省略されていると捉えることは必ずしも間違いではないので、戦争を放棄するとも、大統領を見捨てるとも、世間を離れて流浪の旅に出るとも読めるのではないだろうか。
 déserterの語源は「人が去る」を意味するラテン語desertusであり、人が去った不毛の地である「砂漠 desert」の光景を比喩として読みとることで、出エジプト記におけるモーゼの姿を連想することもできるだろう。この歌には聖書を連想させる言葉がいくつかあるが、ヴィアンが聖書をどのように捉えていたかについては検証を要する。

Depuis que je suis né
J’ai vu mourir mon père
J’ai vu partir mes frères
Et pleurer mes enfants
Ma mère a tant souffert
Qu’elle est dedans sa tombe
Et se moque des bombes
Et se moque des vers

僕が生まれた
父が死ぬのを見た
兄たちが発って逝った
僕は泣く子らを見た
母はあまりの
苦しみに墓の
中でも嘲笑う
爆弾や蛆を

※名詞verをここでは「蛆」と訳したが、「ウジ、ミミズ、回虫などのいも虫」であり、文脈から言って戦争で利益を得ている人びとへの悪罵を意味し、寄生性の蛆をさすものと思える。ハエの幼虫であるウジには人も含む生きた動物の体に寄生して蝿蛆症をひきおこす種類があり、ここでは死肉を分解する蛆というよりも、生者を死においやる寄生虫としての蛆をイメージするほうがふさわしいだろう。

Quand j’étais prisonnier
On m’a volé ma femme
On m’a volé mon âme
Et tout mon cher passé
Demain de bon matin
Je fermerai ma porte
Au nez des années mortes
J’irai sur les chemins

僕は捕われ
妻を奪われた
心を奪われた
かけがえのない日々!
あした、夜明けに
ドアを閉じて僕は
死んだ日々に別れ告げて
道へ旅立つ

Je mendierai ma vie
Sur les routes de France
De Bretagne en Provence
Et je dirai aux gens
Refusez d’obéir
Refusez de la faire
N’allez pas à la guerre
Refusez de partir

僕は僕であることを乞う
ブルターニュとプロヴァンス
結ぶ道に道を乞う
命令を拒み
命令するも拒み
戦争には行かないで
逝くも撃つも拒否せよ

※後半四行のRefusez、N'allezは丁寧語ともとれるが、話しかけている相手が複数の「人々 gens」であるため、命令形と読むこともできるだろう。また、gensは「周囲の人々」「みんな」あるいは「人間」を意味する名詞だが、「自分自身」を差し示すこともあるようで、孤独な物乞いの独り言とも読める。僕の脳裏では、すべてを奪われ、砂漠に棄てられた王のイメージもうっすらと重なる。これは深読みに過ぎるだろうか?
 前半四行を文字通りに訳せば「僕は僕の人生を懇願する/フランスの街道を/ブルターニュからプロヴァンスへと/そして人々に言う」となるが、これを孤独な物乞いの独り言として捉えるなら、あるべき道理を求めて、自分を含む人間すべてに道を問うソクラテスのような人物像が想起されるし、慣用表現の裏の裏を衝いた多面的な詩のありさまは、老子の言葉を思わせもする。
 ヴィアンがビート・ジェネレーションをどの程度知っていたのか、海の彼方の流行にどのような思いを抱いていたかは全く知らないけれども、僕にはどうもこの歌に東洋思想の匂いが感じられてならない。ジャック・ケルアックの『路上 On the road』はまだ正式に出版されておらず、ヴィアンの感性は似ても似つかないものではあるが。

S’il faut donner son sang
Allez donner le vôtre
Vous êtes bon apôtre
Monsieur le Président
Si vous me poursuivez
Prévenez vos gendarmes
Que je n’aurai pas d’armes
Et qu’ils pourront tirer

献血の御用は
ご自分の血をどうぞ
あなたは良い使徒だ
ムッシュー大統領
僕を追うなら
どうぞ兵に警告を
僕は武器をもたず彼は
撃つことができると
引くことができると
得ることができると

※最終の八行目は文字通りなら「そして彼らは撃つことができる」であり、一般的には無抵抗主義の表明と受けとられている。けれども僕にはヴィアンがそれほど単純な歌詞を、歌手に要望されたとは言え何の仕掛けもなく発表するとは考えにくい。
 動詞tirerの自動詞としての意味は主に「銃を撃つ」で間違いない。当初ヴィアンは七・八行目を「僕は武器を持っており/撃つことができる」と書き、歌手のムルージの意見を汲んで現在の形に書き改めたのだと言う。確かに当初のヴァージョンの方が、一・ニ行目の「血が入り用なら/あなたの血を与えなさい」という歌詞の文字通りの訳で、すんなりと文意を読むことができる。
 改作にあたって、ヴィアンは無抵抗主義的に聞こえる歌詞をそのままに、細部の語意や人称などの文法表現に微調整を施すことで、単なる反戦を超えたメッセージを、この歌に籠めようとしたのではないだろうか。
 tirerのもつ他動詞としての意味には「(物を)引く」「(誰かを)撃つ」「(利益などを)得る、導き出す」「(相手を)救う、助ける」などがあり、この歌詞の文意や構造から言って、「僕」や別の語を目的語とした他動詞であるとの読みも、不可能ではないように思える。
 だからこそヴィアンは大統領に「あなたは良い伝道師だ」と言うし、兵士たちが言葉の裏の裏まで考えぬいて自分自身の決意をもてば、「撃つ」以外の選択肢は自ずと脳裏に想起されるはずだ、という謎かけをこの手紙に託しているのだ、と僕は読む。僕の心にヴィアンの歌はそのように響く。
 考えろ。あらゆる自動運動を拒否せよ。僕たちは機械になってはいけないし、機械になることはできない。そうなってしまった時には、生きているように見えても、そこには君がいない。僕は僕自身であり、君は君自身であるためにしか、この地上に存在することはできないのだ、と。